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2013年12月24日火曜日

【1/6(月)パブコメ締め切り】「原発は重要なベース電源」と位置づける「エネルギー基本計画原案」に意見をおくろう。

秘密保全法、武器の提供、来年は憲法改正必ずや?
なんだか不穏な空気に押しつぶされそうになりますが
3.11で目覚めた市民の思い消えないように地道にできることをしていこう。


・新しい「エネルギー基本計画」パブリックコメント募集について
提出先もこちらから・・・

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消えた「原発ゼロ」 むしろ「重要電源」に
文 保坂展人
2013年12月17日   朝日新聞

「原発ゼロ」が消えました。

 
特定秘密保護法で大揺れになった永田町近辺の嵐の空白を突くようにして、政府は12月6日、「原発は重要なベース電源」と位置づける「エネルギー基本計画原案」を提示しました。

<電源としての原子力について「安定供給、コスト低減、温暖化対策の観点から引き続き活用していく重要なベース電源(基礎的電力)」と位置づけ、「原子力規制委員会によって安全性が確認された原発は再稼働を推進」と明記した>(ロイター通信)

 経済産業省・総合資源エネルギー調査会・基本計画分科会はこの原案に「基盤となる」という文言を付け加え、原発は「基盤となる重要なベース電源」とされました。

 前政権が「国民的議論」やパブリックコメントをへて、「2030年代までに原発稼働ゼロ」を打ち出した「革新的エネルギー・環境戦略」は否定され、ふたたび原発依存へと大きく舵を切ったのです。

 原子力規制委員会によって安全性が確認された原発の再稼働だけでなく、将来にわたる原発への依存度について「必要とされる規模を確保する」として、「原発新設」にさえ含みをもたせています。

 朝日新聞社の6月の世論調査では、経済成長のために原発を積極的に利用する方針の是非を聞いたところ、反対(59%)が賛成(27%)を上回りました。また、「再稼働」についても、朝日新聞社、共同通信社などの調査で反対が半数を超えています。多くの人々はいまだに「原発の安全性」に疑問を抱いています。

 そもそも、昨年夏、エネルギー戦略について9万件近く寄せられたパブリックコメントの87%が「原発ゼロ」シナリオを支持していました。このほか、さまざまな形で吸い上げられた国民の意見を反映してできたのが、「革新的エネルギー・環境戦略」での「2030年代での原発稼働ゼロ」という方向性だったはずです。



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◆新しい「エネルギー基本計画」などに関する要望を共同記者会見で発表


要望書は以下よりご覧ください。
1.『新しい「エネルギー基本計画」への要望
2.『東電を破たん処理し政府が汚染水対策などに全面的な責任を果たすことを求める要望
3.『原子力損害賠償制度への要望



80歳誕生日の天皇陛下の記者会見の全文

今夜何気なくつけたテレビに
戦後60年で初、武器を外国に提供するという不穏なニュースと
これが天皇陛下の80歳を迎えるお誕生日の日本を思う愛のメッセージの記者会見。
国民の象徴である殿下のお言葉を真っ向から反対路線に舵を切ろうとしていないか?



東京新聞 Web版より 
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/koushitsu/131223/


 天皇陛下の記者会見の全文は次の通り。
 ―陛下は傘寿を迎えられ、平成の時代になってまもなく四半世紀が刻まれます。昭和の時代から平成のいままでを顧みると、戦争とその後の復興、多くの災害や厳しい経済情勢などがあり、陛下ご自身の2度の大きな手術もありました。80年の道のりを振り返って特に印象に残っている出来事や、傘寿を迎えたご感想、そしてこれからの人生をどのように歩もうとしているのかお聞かせください。
 80年の道のりを振り返って、特に印象に残っている出来事という質問ですが、やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており、その翌年の12月8日から、中国のほかに新たに米国、英国、オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです。
 戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経、今日、日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても、人と人とのきずな絆を大切にし、冷静に事に対処し、復興に向かって尽力する人々が育っていることを、本当に心強く思っています。
 傘寿を迎える私が、これまでに日本を支え、今も各地で様々に我が国の向上、発展に尽くしている人々に日々感謝の気持ちを持って過ごせることを幸せなことと思っています。既に80年の人生を歩み、これからの歩みという問いにやや戸惑っていますが、年齢による制約を受け入れつつ、できる限り役割を果たしていきたいと思っています。
 80年にわたる私の人生には、昭和天皇を始めとし、多くの人々とのつながりや出会いがあり、直接間接に、様々な教えを受けました。宮内庁、皇宮警察という組織の世話にもなり、大勢の誠意ある人々がこれまで支えてくれたことに感謝しています。
 天皇という立場にあることは、孤独とも思えるものですが、私は結婚により、私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え、これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています。
 これからも日々国民の幸せを祈りつつ、努めていきたいと思います。
 ―両陛下が長年続けられてきた「こどもの日」と「敬老の日」にちなむ施設訪問について、来年を最後に若い世代に譲られると宮内庁から発表がありました。こうした公務の引き継ぎは、天皇陛下と皇太子さまや秋篠宮さまとの定期的な話し合いも踏まえて検討されていることと思います。現在のご体調と、こうした公務の引き継ぎについてどのようにお考えかお聞かせ下さい。
 「こどもの日」と「敬老の日」にちなんで、平成4年から毎年、子どもや老人の施設を訪問してきましたが、再来年からこの施設訪問を若い世代に譲ることにしました。始めた当時は2人とも50代でしたが、再来年になると、皇后も私も80代になります。子どもとは余りに年齢差ができてしまいましたし、老人とはほぼ同年配になります。再来年になると皇太子は50代半ばになり、私どもがこの施設訪問を始めた年代に近くなります。したがって再来年からは若い世代に譲ることが望ましいと考えたわけです。この引継ぎは体調とは関係ありません。
 負担の軽減に関する引継ぎについては、昨年の記者会見でお話ししたように、今のところしばらくはこのままでいきたいと思っています。
 
―今年は五輪招致活動をめぐる動きなど皇室の活動と政治との関わりについての論議が多く見られましたが、陛下は皇室の立場と活動について、どのようにお考えかお聞かせ下さい。
 日本国憲法には「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」と規定されています。この条項を遵守することを念頭において、私は天皇としての活動を律しています。
 しかし、質問にあった五輪招致活動のように、主旨がはっきりうたってあればともかく、問題によっては、国政に関与するのかどうか、判断の難しい場合もあります。そのような場合はできる限り客観的に、また法律的に、考えられる立場にある宮内庁長官や参与の意見を聴くことにしています。今度の場合、参与も宮内庁長官始め関係者も、この問題が国政に関与するかどうか一生懸命考えてくれました。今後とも憲法を遵守する立場に立って、事に当たっていくつもりです。
 ―先日、陛下は皇后さまとインドを訪問され、日印の友好親善を更に深められました。53年ぶりとなったインド公式訪問の御感想をお聞かせ願うとともに、国際友好親善に際して陛下が心掛けていらっしゃることについても併せてお聞かせ下さい。
 この度のインドの訪問は、インドとの国交60周年という節目の年に当たっておりましてインドを訪問したわけです。
 インドを初めて訪問しましたのは当時のプラサド大統領が日本を国賓として訪問されたことに対する答訪として、昭和天皇の名代として訪問したわけです。当時は、まだ国事行為の臨時代行に関する法律のない時代でしたから、私が天皇の名代として行くことになったわけです。
 当時のことを思い起こしますと、まだインドが独立して間もない頃、プラサド大統領は初代の大統領でしたし、これからの国造りに励んでいるところだったと思います。ラダクリシュナン副大統領は後に大統領になられました。それからネルー首相と、世界的に思想家としても知られた人たちでしたし、その時のインドの訪問は振り返っても意義あるものだったと思います。
 そして、私にはそれまでヨーロッパと中国の歴史などは割合に本を読んだりしていましたが、その間に横たわる地域の歴史というものは本も少なく、余り知られないことが多かったわけです。この訪問によって両地域の中間に当たる国々の歴史を知る機会に恵まれたと思います。
 今度のインドの訪問は、前の訪問の経験がありますので、ある程度、インドに対しては知識を持っていましたが、一方で、日本への関心など非常に関心や交流が深くなっているということを感じました。
 ネルー大学での日本語のディスカッションなど日本語だけで非常に立派なディスカッションだったように思います。また、公園で会ったインドの少年が、地域の環境問題を一生懸命に考えている姿も心に残るものでした。 そういう面で、これからインドとの交流、また、インドそのものの発展というものに大きな期待が持たれるのではないかという感じを受けた旅でした。

2013年12月16日月曜日

12/19 (木) 内部被ばくを考える会・給食編開催のお知らせとアンケートのお願い @参議院会館会議室

2013年12月6日、「被ばくさせない社会」を目指し、山本太郎さんと一緒に歩む

ウルトラママ&パパサポーターズが発足しました。

給食、健康診断、避難、保養等の個別のテーマをかかげ、

東も被災地であるという認識のもと、アクションを起こしていくそうです。


まず第一弾として

内部被ばくを考える会・給食編


日程:12月19日(木)
時間:午前10時〜12時
場所:参議院会館1F 101会議室 
定数:100席限定
参加申し込み:http://urx.nu/62eo
イベント詳細:http://urx.nu/62gr
配信CH:http://ustre.am/KiNq

出演:三宅洋平 (日本アーティスト有意識者会議 代表)
   野呂美加(チェルノブイリへのかけはし 代表)
   横川圭希(オペレーションコドモタチ)
   鎌仲ひとみ(映画監督)

主催:うるとらサポーターズ(山本太郎後援会)給食委員会
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【報告】
三宅 洋平 :内部被曝について諸々。
野呂 美加 :ベラルーシの子どもたちが食べている食品の数字等。
横川 圭希 :内部被曝について諸々。
鎌仲 ひとみ:ベラルーシ取材のお話からどのような政府の対策が      
       子どもたちにおこなわれているか。
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【第二回 議題】
・地域間格差
・一度受け入れてくれたのに後退
・国の基準の通り遣ってると言う
・秘密の特定になりそう
・ウクライナの事例から限りなく内部被ばくはゼロ提言
・福島汚染米問題→全国への拡大懸念、地産地消やめるべき地域
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◆こちらの会では3つのアンケートを実施しています。
関東地方にお住まいの保護者の皆様、ぜひご協力をお願いいたします。
原発事故当時関東地方にお住いだった方もぜひアンケートにご協力ください!

アンケート対象者:関東地方在住でおうちにお子様がいる方
(※但し、現在関東以外の地域にお住まいの方でも、原発事故当時関東地方に
お住いだった方はぜひアンケートにご協力ください!)
アンケート開始日:平成25年12月15日(日)
回答締め切り日:平成26年1月21日(土)


★【給食に関するアンケート】 

原発事故後からみなさんが抱えてきた学校給食に代表される食品の安全性や、子どもたちに本当に影響がないの?といった不安な気持ちをお聞かせください。



★【子どもたちの体調に関するアンケート】

原発事故以降に、お子様の体調や成長の様子で気付いたことはありませんか?
これまでに保護者の方が「もしかして放射線の影響?」と感じたこと、理由はわからないけれど何かおかしいと感じていることはないでしょうか? 



【私の放射能ハラスメント体験】

子どもたちが毎日楽しく過ごしたり、また健やかに成長するためにふさわしかった場所にこそ、放射能は容赦なく襲い掛かってきました。
子どもたちの健康や安全を第一に考えてくれるはずの人たち。市民の安全・安心を守ってくれるはずの人たち。そんな信頼していた人たちから浴びせられた批判・非難・否定・拒絶の言葉。態度。思い出すのも辛くて悔しいかもしれません。でも、だからこそ聞かせてください。