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2013年6月6日木曜日

★6.2原発さよなら集会での落合恵子さんスピーチ


南海トラフの巨大地震をはじめとして、近いうちに巨大な地震がやってくると、
連日のようにメディアは私たちに報道しています。
その巨大地震と原発の存在がなぜ別個に語られる国なんでしょう?

ハリケーンだってそうです。
テロが怖いというならば、原発の存在そのものを問いかけるところから始めればいいじゃないですか。

この国は"相変わらずの国策"をそのまま続けています。まるで3.11など無かったかのように。

だから私たちは忘れない。
だから私たちは心に刻みます。

防衛費を増やしながら、福祉を削りながら、事前の防災ばかり呼びかけながら、原発はそのまま。

だから、もっとたびたび私たちは抗議をしましょう。もっとたびたび声を荒げていきましょう。

原子力発電はもとよりです。
この国を覆い尽くす"原発的な体質と構造"を破壊するまで変わらない国なのです。

福島の人々の苦しみを放置したまま、トルコに原発を売り
さらにインドをはじめとして海外の国々を訪れているこの国の"死の商人"と"死の輸出"を

私たちは容認することは、決して決して、できません。

2万人以上の人々が、家に、故郷に帰る事が出来ず、福島にいらっしゃる。

その事からも目をそらす"薄っぺらなおがくずみたいな内閣"に私たちは、なにも、何も共感するものはありません。

心からの怒りと理不尽に対する許し難い思いを込めて、ここにもう一度約束をしましょう。

私たちは福島と繋がります。
私たちは全ての原発立地の、沢山いらっしゃっていますが、人々と繋がっています。

憲法が保障した生存権。基本的人権。主権在民。福島の人々にありますか!?

奪っておいて、「よくも よくも」という気持ちがあります。
私たちの痛み、そこから始めていきましょう。

中略

たとえば、反原発と憲法改悪阻止の二つのテーマだけで、もっと柔らかく結び付く事は可能な筈なのです。

違っていいのです。
他の部分は違っていたって良いじゃないですか。

私たちはある地方に、そこに暮らす人々に、

命と安全と安心に対する犠牲を強いたまま生きてきた痛みと反省がとても強くあります。

だからこそ、だからこそ結び付きたいのです。

「人」あっての発展です。
「子どもの未来」あっての繁栄です。

「開発」という名の「発展」という名の拝金、お金お拝む
「拝金」という名の堕落と破壊とまやかしの繁栄にもう一度私たちはまっすぐに、別れを告げていきましょう。

そしてこの鎖から私たち自身を解き放つことができるのは
やっぱり一人一人の私たち自身であるという誇りをもう一度、素手で握りしめていきましょう。

私は私に問いかけます。
準備は出来てるかい?「何があろうと、どんなハメ方があろうと、私は私を売らないぞ!」
この約束を一人一人が自分としていくことが大切だと思います。

私たちには権力はありません。
福島第一原発事故の後、私はずーっと対峙してきた権力が欲しいと心から思いました。
「そしたら子どもを家族を学校を地域社会をそのまま別のところに移転させることも出来るのに」と。

でも私たちには権力はありません。それに対抗するものがなにか?といえば、

私たちには愛する者たちがいるということ。
誕生前の命も含め、血の縁だけではなく、私たち自身の共感と友情がここにあるということです。

あの人たちが欲得で結び付くのなら、私たちはもう一度、痛みへの想像力と共感で結びつこうじゃありませんか。

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